働けなくなってから2年が経ちました。
リワーク(復職訓練)に通っても復職を果たせず、退職後は就労移行支援を行っている事業所の体験に何件か行ったものの、まだ社会復帰は果たせていません。
今回は社会復帰を目指してもがき続ける私が働くことや幸せについて考えさせられた本を紹介します。
その本の名前は まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験 です。
スウィングとはNPO法人の名前で、著者はそこで理事長を務める木ノ戸昌幸さんです。
本にはスウィングで働く人々の日常や木ノ戸さんの障害に対する考え方などが書かれています。
世の中の常識にとらわれないスウィングの人々に、自分の弱さを肯定してもらえるような気持ちになりました。
毎日肩肘を張って生きている人、こうあるべきという思考にとらわれて苦しい人に読んでもらいたい一冊です。
NPO法人スウィングとは
2006年、京都・上賀茂の地に産声を上げた、障害のある人ない人およそ30名が働くNPO法人。絵や詩やコラージュなどの芸術創作活動「オレたちひょうげん族」、全身ブルーの戦隊ヒーローに扮して行う清掃活動「ゴミコロリ」、ヘンタイ的な記憶力を駆使した京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」などなど。「べき」やら「ねば」やら既存の仕事観・芸術観に疑問符を投げかけながら、世の中が今よりほんのちょっとでも柔らかく、楽しくなればいいな!と願い、様々な創造的実践を繰り広げている。
まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験 より引用
「弱さ」が「弱さ」を救う
スウィングでは眠くなったら昼寝ができ、理由もなく休む人には拍手が送られます。
弱っているときは毎日決まった時間に決まったことを行うことが難しいことがあるので、これくらい自由だといいなと思います。
スウィングでは様々な人が活動しています。
休みの日に何もしないでぼーっと過ごす人、毎日決まった時間にスタッフにワン切りをし続ける人、不器用でいつまでも自信が持てないスタッフ・・・。
効率を重視する社会ではスウィングの人たちの活動はときに「無価値」だと判を押されてしまうのかもしれません。
ですが、心を病んで仕事を失った自分にとっては偉い人の言葉よりスウィングの人たちの何気ない日常に勇気をもらいました。
一般就労と福祉的就労
![](https://okomoriblog.com/wp-content/uploads/2023/12/hunters-race-MYbhN8KaaEc-unsplash-1.jpg)
一般就労と福祉的就労の違いを皆さんはご存じですか?
一般就労は「企業就労」とも言ったりするが、簡単に言えば障害のある人が一般企業で働くこと、対して「福祉的就労」とは、障害のある人が福祉施設で働くことを意味する。
まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験 148ページより引用
私は今まで病院で働いていたのですが(一般就労)、病気退職をしてから就労継続支援の事業所(福祉的就労)に体験に行きました。
就労継続支援は一般就労が困難な人が利用できる福祉サービスでA型とB型があります。
大きな違いとしてA型は雇用契約を結びますが、B型は結ばないため賃金はとても低いと言われています。
本の感想からはやや離れてしまいますが、この機会にB型事業所での体験について少し書きたいと思います。
B型事業所に体験に行って感じたこと
働くことに対して自信を失っていた私は福祉サービスの下でなら働けるのではないかと、家の近所にあるB型事業所(以下、事業所)に体験に行きました。
施設のスタッフさんは親切で雰囲気も温かい感じだなと思ったのですが、利用者さんを見ていると自分より障害の重そうな人ばかりで、この間まで(と言っても仕事をしなくなって2年経っていましたが)病院で働けていた自分が来る場所ではなかったかもしれないと思いました。
木ノ戸さんは軽度の知的障害とされる人との座談会のなかで、障害を軽い重いで定義するのはおかしいと言っています。
私も他人がその人の障害について重いとか軽いとか判断するのはあまりよろしくないことだとは思っています。
ですが、私には10年間一般就労で働いてきたという自負も少なからずありました。
このまま福祉的就労に移ってしまっていいのだろうか。
福祉的就労を選んだらもう一般就労には戻れないのではないか。
一般就労は上、福祉的就労は下という序列が社会にはあると木ノ戸さんは書いていますが、私も心のなかではそのように思っていたのでしょう。
スタッフも利用者の人たちも私を温かく迎えてくれているのに、そこに入っていくことにわずかに抵抗を感じていました。
カラオケに意味を見出せずモヤモヤ
体験に行った事業所では、午後はリハビリの一貫なのかカラオケの時間がありました。
確認はしませんでしたが、その時間は賃金は発生しないのだと思います。
利用者は私も含む全員が精神に障害を持っていて、心が元気になるにはこういった遊びの時間も必要なのかもしれません。
それでも私はカラオケなんて意味があるのだろうか、それなら少しでも賃金の発生する作業がしたいと思っていました。
そもそもB型事業所のひと月当たりの平均賃金は1万5千円ほどと言われているので、お金を稼ぐことを主目的にするのは厳しい実情があるのですが。
働くことの意味はお金だけではない
木ノ戸さんは働くことの意味や目的はお金だけではないと言います。
著書には一般就労を経てスウィングで働くようになった人が紹介されています。
一般就労をしていた頃は真面目ゆえに周りとまったく交流がなかったのが、スウィングに来てから会話が増え、くだらない冗談ばかり言うくらいに変化を遂げた人。
スウィングで働きながら一般就労も続ける二刀流の人。
賃金は少なくなっても、お金では得られないものをスウィングで働く人たちは感じているんですね。
私が体験に行った事業所も施設長さんの方針なのか、自由でのびのびとした雰囲気が漂い、利用者さんも過ごしやすそうでした。
自宅のほかに安心して過ごせる場所があること、話し相手がいること、失敗しても大丈夫な場所があること。
お金以外にも働くことで得られるものはたくさんあり、福祉的就労はそれに気付く機会を与えてくれる気がします。
一般就労と福祉的就労のそれぞれの良さを生かしながら、両方の間をゆるやかに行ったり来たりできるような働き方がもっと広がるといいなと思います。
自分を大切にすること
![](https://okomoriblog.com/wp-content/uploads/2023/12/madison-oren-uGP_6CAD-14-unsplash-1.jpg)
著者の木ノ戸さんも子どもの頃から生きづらさを抱えていたことが著書のなかで書かれています。
エピソードのなかで印象に残った部分を紹介します。
わかってもらえなくてもいい
勉強も運動もできた木ノ戸さんは周りから「できる子」と言われていましたが、本当はそうではない弱い自分もいるのに当時の学校の先生の影響もあって「できない子は悪い子」思想にとらわれていたため、それを周りには出せずにいました。
人への恐怖感に苦しみながら生活をしてきた木ノ戸さんは、20歳のときに「大学生の不登校を考えるシンポジウム」に参加し、自分以外にも苦しんでいる若者がたくさんいること、自分が「こうあるべき」という姿に過剰に縛られていることに気付きます。
衝撃を受けた木ノ戸さんは両親に自分が苦しんできたことをぶつけました。
突然のことで驚いたに違いないが、父も母も真剣に耳を傾けてくれた。結果として父には「分からない」と思い切り言われてしまったが、僕はむしろこの言葉にほっとした。
まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験 184ページより引用
私も病気をしてから母に何度となく苦しさを訴えたことがありますが、「(言っていることが)分からない」と言われたことが何度かあります。
こんなに訴えているのにどうしてわかってくれないのだと悲しくなりましたが、木ノ戸さんは「分からない」と言われたことをほっとしたと書いていて、なるほどそういう気持ちになることもあるのだなと思いました。
大切なのはわかってもらえるかどうかではなく、自分の気持ちを言葉にすることなのかもしれませんね。
モチベーションをどこに置くか
大学を卒業して遺跡発掘の仕事に就いた木ノ戸さんですが、徐々に現場に呼ばれなくなり24歳のときに無職なります。
25歳で身を固めようという指針を持っていたそうですが、それは死期が近づいていたお父さんを早く安心させたいという思いが強く影響していたと書いています。
別になくてもいいものだけれど、目標を設定すること自体は何も悪いことではない。けれど「親を安心させたい」というような、つまりモチベーションを自分の外側に置くようなやり方はあまりよろしくないし、少なくとも僕には合わないのだと思う。
まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験 192ページより引用
何かと人の目を気にして行動してしまう私には共感でき、また考えさせられた部分です。
これは私の経験なのですが、本当は自分はやりたくないことを親を安心させたいがために無理してやっていたことがありました。
自分の心の声に耳を傾けずに突っ走った結果、それは上手くいきませんでした。
人のために頑張ることは美徳と捉えられがちですが、それは本当に自分がしたいことなのかあわせて考えられることが大切だと感じます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は思い切って自分の体験も結構書かせていただきました。
「スウィング」に興味を持った方はぜひ本を読んでみてくださいね。
生きづらさの緩和に役立ちそうな本を見つけたら、またこちらのブログで紹介していきたいと思います。
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